オスとメスの違いとは?
オスってなに? メスってなに?
そもそもヒトの男を含むオスとはなんで、ヒトの女を含むメスとはなんなのだろう。別のいい方をすれば、オスとメスの根本的な違いとはなんなのだろう。
動物のなかには、ヒトのようにペニスなどの外性器の違いで、オスとメスの区別がっくものもいる。また、ライオンやシカのように、タテガミやツノのあるなしといった違いで、性別が区別できるものもいる。しかし、ペニスのあるなしや、タテガミやツノのあるなしといった外見的な違いがなく、オスとメスの区別がつきにくい生き物も多い。たとえば、スーパーの鮮魚売り場に並んでいるサンマやサパがそうだ。
では、外見に違いが見られない動物のオスとメスは、どうやって区別するのだろう。答えは単純。精子をつくるのがオス、卵子をつくるのがメスである。これがオスとメスの根本的な違いであり、生物学的なオスとメスの定義である。
受精によって新しい個体、つまり子になる細胞を配偶子という。そして、小さな配偶子を精子、大きな配偶子を卵子と呼んでいる。精子は、ほとんど遺伝子しかもたないので、元気に動きまわることができる。卵子は、遺伝子に加えて受精卵が育つための栄養をたっぷり含んでいる。栄養を含んで大きくなったぶんだけ、卵子の動きはにぶい。
オスとメスの根本的な違いはシンプルだが、とても重要な違いだ。これから解説していく動物のオスとメスの性行動の違いも、ヒトの男女の性行動の違いも、配偶子の大きさの違いと密接に関係している。
なぜ、性はオスとメスの2つなのか?
なぜ多くの生物では、性が2つなのだろうか。
バクテリアなどの単細胞生物は、自分の体を2つに分裂させて増えていく。これを無性生殖という。一方、ヒトに見られるような、異なる個体の配偶子同士が受精することによって、子が生まれて子孫が増えていく、という方法を有性生殖と呼んでいる。
はるか昔、地球上に有性生殖をする生物が生まれた当初は、配偶子の大きさにはあまり差がなかったと考えられている。それが小さな配偶子(精子)と大きな配偶子(卵子)に分かれていったのには、配偶子同士が出会う確率と、各配偶子がどれだけ子に栄養を与えて子の生存率を上げるかが関係している。
小さい配偶子は栄養が少ないので子の生存率には貢献しないが、移動性に富み、はかの配偶子と出会う確率が高い。大きい配偶子は、移動性が低くほかの配偶子と出会いにくいが、たくさんの栄養を与え子の生存率を上げる。中間サイズの配偶子は、相手探し競争では小さい配偶子に負け、子の生き残り競争では大きい配偶子に負けてしまうことが、コンピュータ・シミュレーションで証明されている。
有性生殖が生まれた当初は配偶子の大きさにあまり差がなかったといっても、小さめの配偶子をたくさんつくる個体、中間の大きさの配偶子をつくる個体、そして大きめの配偶子をつくる個体と、多少の個体差はあったに違いない。その後、小さい配偶子や大きい配偶子をつくる個体が、中間サイズの配偶子をつくる個体より多くの子を残し、それが何世代も繰り返されるうちに、小さな配偶子をつくるオス個体のグループと、大きな配偶子をつくるメス個体のグループの2つに分かれていったと考えられている。
男と女の違いとは
男と女には違いがある。生物学的に違いがある。
たとえば、体の仕組み、行動や考え方、そのもととなる脳の構造など。男女の生物学的な違いは、さまざまなところに見受けられる。 男と女の違いについては、これまでにも、たくさんの本が書かれてきた。しかし、男と女に違いがあるというとき、男と女が遠く離れたまったく別の生き物だといっているわけではない。
これまでに書かれた多くの本、そして、この本でいう男女差は、あくまでも男と女の平均的な傾向の差だ。「男はかならずこうだ」とか、「女はかならずこうだ」という絶対的なものではない。
科学的研究では、男と女の平均を比べて統計的に有意な差があれば、男女は違うと結論する。つまり、科学的証拠の示す男女差は、平均の差だ。たとえば、女は地図が読めないとよくいわれるが、それはこういうことだ。何人もの男女に地図を渡し、A地点からB地点まで行くように指示する。そして、かかった時間を計る。男の平均は、女の平均より短い。確かに平均すれば、男のほうがさっさとゴールに到達する。このとき科学者は、地図を読む能力には男女差があると結論する。しかし、男女の所要時間には大きな重なりがある。さっさとゴールに到達する女もいれば、ゆっくりとゴールする男もいる(Galea&Kimura 1993)。
このように、男女の平均に差があっても、男女間で大きな重なりがある場合がほとんどだ。男もいろいろ、女もいろいろである。
女性的な男性もいれば、男性的な女性もいる。それが、ふつうだ。そして、男女差はあくまでも平均の差だ。
もうひと言:生物学的説明と善悪は別物、男女差と優劣も別物
数年前にやっていた「不機嫌なシーン」というテレビドラマを覚えているだろうか? 主役は竹内結子で、動物行勤学専攻の大学院生役。その相手が内野聖陽。彼女の元恋人で、同じく動物行勤学専門の大学教授だ。この教授、なにかにつけて「男の遺伝子は浮気するようにできているんだ」と豪語していた。
放映されてからもう何年も経つのに覚えているのは、この教授が、動物行動学者としてあるまじき自己正当化をしていたからだ。テレビドラマごときに目くじらを立てるなといわれそうだが、1つ間違えばとても危険なメッセージをあのドラマは伝えていたと思う(動物行動学者という設定でなかったら、許したと思うけど)。
進化という視点から考えると、動物個体が生きている究極の目的は、生き残り、子をつくり、自分の遺伝子を次世代に残すことだ。浮気や虐待、はてはわが子を殺すといった行動であっても、その行動をする個体が、それをしない個体より多くの子を次世代に残すなら、その行動は受け継がれていく。つまり、倫理的な善悪とは別に、たんにより多く子を残した個体の遺伝子が、のちの世に残っていくのである。だから、「祖先から受け継ぎ遺伝子に組み込まれているんだから、やってあたり前。正しいんだ」という考え方は危険なのだ。へたをすると、殺人をも正当化してしまうことになる。
進化生物学や動物行勤学と呼ばれる生物学の分野は、ヒトを含むさまざまな動物の行動に説明を与える。しかし、説明を与えるだけで、善悪の判断を下すわけではない。
男女差についても、生物学が受けもつのは、男と女が違うという事実を示すところまでだ。男女のどちらかがすぐれているとか、劣っているとかいう判断は下さない。
男女や人種などの生物学的な違いは、男女差別やユダヤ人虐殺などを含む人種差別を正当化するのに使われたという苦い歴史をもつ。過去の誤ちを繰り返さないためにも、差を優劣と結びつけないでほしい。
